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サクバット奏者 宮下宣子
vol.7 古楽の歴史とサクバット③
16〜17世紀のイタリア
今回からはフランドル楽派の音楽家がルネサンス後期〜バロック前期ヨーロッパ各地で新しい音楽を発展させた過程を追って行きます。 まずはイタリアです。注目はアドリアン・ヴィラールトです。彼は地中海貿易で活気に溢れていたヴェネツィア、サン・マルコ大寺院の楽長となり、そこの広いバルコニーや大オルガンが2つある利点を活かした複合唱形式(1コア、2コアあるいはもっと!)の華やかさが特徴の、ヴェネツィア楽派を生み出した人として重要です。
サン・マルコ大寺院内部
聖堂の両側、あるいは後ろなどに演奏隊は配置され、
ステレオ効果を生み出しました。
アドリアン・ヴィラールト
Adrian Willaert (1490〜1652)
Magnificat "LuciSerene マニフィカート「静謐な光よ」
アドリアン・ヴィラールト
Adrian Willaert (1490〜1652)
Missa 'Mittit ad Virginem' & Motets
ミサ「聖母に贈る」&モテット
アドリアン・ヴィラールト Adrian Willaert (1490〜1652)
Laudate pueri Dominum Psalm 112
「子供たちよ主を誉め讃えよ」詩篇112篇
ヴェネツィア楽派は、フランドル楽派が好んだ複雑なポリフォニーとは異なり、朗々とした和声の響きを持つホモフォニーが、教会のダイナミックな響きの中で重要視されて行きました。それはイタリア人の嗜好であり、イタリア人音楽家ツェルリアーノを楽長に迎えた時に大きく発展しました。その力になったのが同じくイタリア人のアンドレーア・ガブリエーリです。
アンドレーア・ガブリエーリ
Andrea Gabrieli (1510?〜1586?)
Jubilate Deo 神に感謝
アンドレーア・ガブリエーリ
Andrea Gabrieli (1510?〜1586?)
天正遣欧使節訪問を祝う典礼のために作曲されたMissa a.16
Glorla 16
声のためのミサより「グローリア」
アンドレーア・ガブリエーリ Andrea Gabrieli (1510?〜1586?)
Battaglia a.8
8声の「戦いの音楽」
その甥のジョヴァンニ・ガブリエーリは、従来の宗教音楽である人の声による複合唱の方法を、積極的に器楽に応用し、これまでになかったダイナミックな動きや、楽譜に強弱の指示を書き込んむことで、益々壮大な音楽に発展させ、それは新しい器楽合奏の形態となって確立され、ついには寺院全体に響きわたる音楽は教会における典礼の役割から独立し、近代音楽の基礎を創ることにも繋がって行きました。
ジョヴァンニ・ガブリエーリ
Giovanni Gabrieli (1554or7〜
1612)
Magnificat a.14 14声のマニフィカート
ジョヴァンニ・ガブリエーリ
Giovanni Gabrieli (1554or7〜1612)
Jubilate Deo Omnis Terra a.15
「全ては神に祝福され 」15
そして、半音階やきわめて表情豊かな実験的な作曲様式が、その後の世俗音楽に決定的な一打を与えた音楽家チプリアーノ・デ・ローレです。
チプリアーノ・デ・ローレ
Cypriano de Rore(不明〜1565)
Mia Benigna Fortuna「私の幸福」
彼らによってヴェネツィア楽派は最盛期を迎えます。そして、この流れは17世紀のモンテヴェルディに受け継がれて行くのです。
一方、ヴェネツィア楽派が栄えていた同じ時期にローマでは、別の様式の音楽が主流となっていました。ローマのサン・ピエトロ教会や教皇庁で、教会音楽を中心に芸術的なポリフォニー音楽を作ったパレストリーナを中心としたローマ楽派です。ローマでは器楽など華美なものを排するのが特徴で、ア・カペラと呼ばれる4声部から8声部の無伴奏合唱で、大胆な試みを排し、主観性や対比を強調しない、崇高で単純な音楽でした。これはあくまでも典礼が目的、神を讃える歌詞を聞き取りやすくするための音楽で、トレント公会議(1545-1563)で取り決められたことなのです。
芸術音楽への情熱により、多声部による「美しい」響きや「音楽的調和」を重視するあまり、歌詞による「言葉」での音楽表現があまりにも軽視されてしまったことに危機感を感じた教会は、トリエント公会議で過剰なポリフォニー音楽を禁止することとしました。
ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ
Giovanni Pierluigi da
Palestrina (1525?-1594)
Missa Papae Marcelli「教皇マルチェリのミサ」
ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ
Giovanni Pierluigi da
Palestrina (1525?-1594)
Stabat Mater「スターバト・マーテル」
ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ
Giovanni Pierluigi da
Palestrina (1525?-1594)
Vestiva i colli 「草原や丘は美しい春の装いに満ち」
パレストリーナに続くイタリア人音楽家
フェリーチェ・アネーリオ
Felice Anerio (1526 or 27〜 1614))
Christus factus est「キリストは聖油を注がれた」
がよく知られています。
がよく知られています。
さて、世俗音楽の分野では15世紀あたりから、イタリア半島でフロットーラという音楽スタイルが流行します。すべての声部が均等な力関係のポリフォニー音楽と違い、最上部の声部を主役の旋律とする手法が特徴です。
このフロットーラが進化し、マドリガーレというスタイルが現れます。これは、文学的な歌詞にメロディを主体とする音楽を結びつけ、音楽と言葉が密接につながることが特徴です。
1580年頃、フィレンツェの音楽人や知識人が集まり発足した音楽サークル「カラメータ」も、古代ギリシアの情熱的、喜劇的な表現の復興を目指し、主役の旋律が存在しないポリフォニー音楽を強く否定します。これはイタリアにはダンテ、ペトラルカ、ボッカチオらの素晴らしい詩人がいたことにより花開いたジャンルと言えます。「もっと歌詞を聞かせたい!」「もっと言葉による音楽的表現をしたい!」という目的です。そして、主役であるメロディが簡単な伴奏にのり、歌を歌う形式が生み出されることとなりました(モノディ様式)。
これは、明らかにルネサンス音楽とは違うアプローチの音楽で、このスタイルが次の時代の主流となっていきます。これは、音楽で感情や情熱を表現する手法として、圧倒的に効果がありました。主役のメロディが歌詞をのせて感情を表現した歌を歌うという、今ではごく普通の表現方法が、約400年前に生まれることとなりました。
この新しいモノディ様式は、音楽で「感情」や「物語」を表現するには最適で、これが「オペラ」の原型ともなりました。こうしてフィレンツェで生まれたモノディ様式は、イタリア中に急速に広がることとなりました。
そして、17世紀の天才モンテヴェルディがこの様式をさらに進化させます。劇的な、感情的な音楽表現が可能となった音楽の可能性を重視し「歌詞の内容をよりドラマティックに表現できるのなら、どんな不協和音であったり、型破りな手法でも利用してかまわない」としたのです。その彼が、ヴェネツィア、サン・マルコ大寺院の楽長となり、最強のイタリア音楽最盛期を迎えることになったのです。
クラウディオ・モンテヴェルディ
Claudio Giovanni Antonio Monteverdi (1567 〜 1643)
L`Orfeo 「オルフェオ」
クラウディオ・モンテヴェルディ
Claudio Giovanni Antonio Monteverdi (1567 〜 1643)
VESPRO DELLA BEATA VERGINE 「聖母マリアの夕べの祈り」
サン・マルコ大寺院でヴァイオリンを弾いていたカステッロは、画期的な試みとして器楽が主役のソナタをたくさん書き、この中にはサクバット指定の作品もたくさんあります。
ダリオ・カステッロ
Dario Castello (不明〜1630)
Sonata duodecima ソナタ第12番